だが、なぜTSIはうまくいかなかったのか。バブルの時期には大幅に業績を伸ばし、あちこちのゼネコンから強く提携を申し込まれるほど優秀なプログラマもいた。しかし、バブル期が過ぎた後の数年の落ち込みを乗りきることができなかった。TSIのユニークな組織原則をごく簡単に言うと、数名のグループ制をとり、TSIには各グループの売上げの10%を納めることだけを義務とする、といったことである。社内に小さな会社をたくさん抱えているようなことになる。
【写真】多摩川上流のようす(御嵩付近 2007.4.15)
こんな素朴な規則であっても、業績が右肩あがりのうちはよかった。しかし、その後、売上げが極端に減少した時期には、まったく求心力が働かない状態だった。私たちの(メソッドとなって独立した)グループも含めて、ほぼ3年くらいの期間にTSIは四分五裂状態となった。そして、メソッドはTSIから独立した後、この15年あまり、少なくともグループ制はとらない(そういう規模でもない)、社長が責任を負う普通の組織としてやってきた。
・・・もちろん、ここに書いたことはごくごく大雑把なスケッチである。TSIの組織論(プロジェクト制と呼ばれていた)はひとつの実験ではあったかもしれない。今、それを振り返るだけの価値があるのかどうかも定かではない。
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